若いアーティストは、一つの作品をすばらしいものにしようと無心に作るのだが、それをシリーズにしようとはあまり思いつかないようだ。これは全員にあてはまるとまでは言わないがかなりいいアドバイスだと思う。見る側にとっても正直一つの作品で何か大きな感想を持つことはほぼ無いだろう。ある程度個展なんかでシリーズを見るか、同じ作家の作品をいくつかの展覧会で見ることではじめてなるほどって思うことも多い。ギャラリストとしては1つの単体作品よりはシリーズで10ほどあるほうが売りやすいということもあるだろうが、それよりはシリーズにすることで、作品の裏にあるアイデアが、何回も練られて強められ、洗練化されていくというのもあるだろう。
いかに荒っぽい悪戯であろうと「洒落」の一言で済ませてしまう乱暴な談志を、唯一閉口させたのは石井伊吉(毒蝮三太夫)であった。駅のホームで電車を待っていた談志を電車入線間際に線路に突き落とそうとし、運良く落ちずに済んだ談志が「死んだらどうするんだ!」と怒鳴りつけたが、毒蝮笑って曰く「洒落のわからないやつだと言ってやる」。また、「笑点」の収録で大阪に行った際、道頓堀で暴漢に刃物で後頭部を切られた談志を見た毒蝮が「おい、貯金箱だな」と言って頭の傷口に硬貨を入れようとし一緒にいた笑点メンバーたちは大ウケしたという。石井に「毒蝮三太夫」の芸名を与えたのは談志である。

立川談志 - Wikipedia

「おい、貯金箱だな」

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「理系の人は95%可能なことでも『ただし5%ダメになる可能性がある』と考えずにはいられません。ところが、(文系出身の)営業職の人などは5%しか可能性がなくても『100%大丈夫です。お任せください』と言える。これは対人能力の高さがあるからできること。すごいスキルだと思います」

第8回 理系の会話がワカラナイ… | R25

確かにこれは妻との会話の中で頻繁に問題になる。私が5%の可能性にまで言及することが妻には耐えられないのだそうな。

(via raurublock) (via yuco)

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最速のインターフェースというやつがある。俺がいつもいってるやつだ。最速ってのはこれ以上はやくできないってことだ。あるいは速くしても意味がないってことだ。俺がコードを書くときはいつもその状態を目指す。例えばフィードリーダーにとっての最速というならば、それは人間が文字を読むスピードのことだ。LDRはそれを目指す。だから、人によって評価が異なるのは当たり前のことだ。

その人の文字を読むスピードは人それぞれだからだ。以前にもかいたように、10や20や、100や200読んでるぐらいなら、何を使おうとたいした違いはない。そういった比較に意味はない。1000や2000読んでいるのであれば、確実に違いが分かるだろう。

それでは市場を狙えないよ、などと言う人がいるのはわかるし、それはもっともなことだ。1000や2000読む人はごく一部だからだ。しかしそれは、人々がそういうものだと思い込んでいるからだ。

俺はオフ会で出会った人たちのブログを全部読む。それが出来る道具だ。中小企業の社長であれば従業員のブログを全部読めるだろう。LDRはそれが出来る道具だ。

あなたが本来読むべきブログはどれだけあるのか。道具によって制限された数ではなく、本来の姿にあわせてソフトウェアは設計されなくてはならない。

BloglinesやGoogleReaderは結局のところ、サーバーの速度や、チューニングされていないJavaScriptの速度によって、人間の可読速度に追いついていない。読むのがのろい人間であれば、十分な速度なのかもしれない。しかし最速ではない。人間の読む速度なんてのはたかが知れていて一分間にせいぜい10万文字しか読めないそうだ。携帯電話の通信速度でも十分に転送できる速度だ。技術的な制約など、とうのむかしになくなっているはずだ。にもかかわらず人間が読む速度という単純な目標にすら届いていない。

昔、Googleに利益が出ていなかったころ、創業者2人は「利益が出たらプールを作ろう」と言っていたそうだ。そしてついにGoogleに初めての利益が出た日があった。すると彼らはすぐにビニールプールを買ってきて、駐車上で水をため、皆で遊んでお祝いしたのだという。

そのデザイナーに仕事のプロセスを見せてもらった時以来、私は考え方が変わってしまった。「不定型な仕事だから、どれだけ時間がかかるかは分からない」という言い方をしないようになった。そればかりか、他人のそういう発言も、単純には鵜呑みにしないようになった。そして設計や計画やデザインの質が低いのは、時間を費やせなかったせいではないかと疑うようになった。

デザイナー以外にも、不定型な仕事をしている人には何人も出会った。音楽家、映画監督、映像展示プロデューサー、建築家といった、事務作業や力仕事とはほど遠い業務に従事する人たちだ。こうした職種の人たちの多くは、成果物で報酬を得ている。しかし、よく聞いてみると、この人たちもたいてい、仕事に費やす時間や工数をかなり正確に見積もっているのだ。それどころか、報酬額が自分に必要な工数の分に足りないときは、どこを押さえてどこで手を抜けばいいかさえ、ちゃんと計算している。自分の評判を下げない程度に、質をキープする知恵である。いかにもプロフェッショナルである。

「良いデザイン」の工数は見積ることができるか : タイム・コンサルタントの日誌から

とてもよい記事。補足すれば、成果物が非定型に見えるだけで、プロセスはパターン(コツ)によって定型的になっているということ。だからこそ見積もりも可能になる。一方で、どれだけ質の良いパターンを体得しているかによって成果物の質や量も変わってしまう。時間をかけたからといって価値が上がるわけじゃない。ちなみにパターンには経験的なもの、メソッド的なもの、教科書的なものとある。

今の時代で重要なのは「バジェットと時間に制限がある中で、どうやって求められることに対して成果のバランスを取るのか」ということ。最近のプロジェクトは、ほとんどがその流れ。求められる要求を全て叶えるなんて発想じゃ、仕事はやってられない。どんどんコミュニケーションしていかないとね。

(via yusuke-arclamp)

せんせー、ウチの仕事はこの辺がベクトル空間と多次元リアルオプションにしか落ちません!パターンって何??記述したら本ごときでは収まらないんだけど~~。

(via swmemo)

はい、SWくん、それはそれでパターンってことでいいんですよ。本にできるものは教科書的なパターンと呼びます。SWくんのは経験的”ベクトル空間と多次元リアルオプション”パターンということですね。SWくんも見積もりできますよね?(なんか資料くれるって言ってたのが来てない気もするけどw)

つーか、パターンという言葉を、そういう深めな意味で使おう運動実施中です。

(via yusuke-arclamp)

いやだから、本にもサイトにもならないし、そもそも記述できないんですわw(ただ、体内感覚としては把握している。シナリオ分解がおそらく出来ないかまったくコストにも現実的にも合わない)

見積もりはなぁ、出来なくはないけど、積み上げ感覚はゼロですわ。想定提供価値からの逆算しか出来ないかもしれん。だって、そういうものだもの。見えるか見えないかみたいなの。積み上げしても分からない流れとシナリオ。

そして資料は2転3転中。おれっちの責任じゃないんだよなぁ、これ。そろそろ出ると思いまする。

(via swmemo)

記述できるかどうかは関係ないですよ。記述しちゃったら「教科書的なパターン」になってしまうっていうだけで。見積もりも想定提供価値からの逆算っていうことで良いのでは。ようは、要求と成果のバランスをとれる感覚があればOK。なんか、旧来のプロマネ論は、全然、通じなんだなと思います。

了解です。外部環境はコントロールできないから、適応するしかないですよね。資料、お待ちしてまーす。

(via yusuke-arclamp) (via yuco)

  271 notes  

 フォード自動車会社が設立されるのは1903年であり、大量生産が開始されるのが1911年のことである。
 フォード・システムとしての一貫工程のベルトコンベア式大量生産工場は「労働を中断させない」ことで大量生産を可能にする。そのため労働者の適性はチャップリンが『モダンタイムス』で示した肉体的動作の完全な「機械化」という、まさしく「知的無関心」によって計られ、反復される神経と筋肉の効率維持・更新・増進のため労働者の私生活への過干渉、生活管理がおこなわれる。禁酒法は、まさにこうしたブルジョアジーのマスプロダクトという新生産方式下で必要とされた国家によるモラル・リフォームであった。
(中略)
フォード主義の特性に必要な労働者の調教を国家規模の≪総動員≫として号令したのが第一次世界大戦(まさしく戦争は国家を一大工場に変えた)であり、その経験からニューディールとファシズム(ナチズム)という全体主義のふたつの姿の選択肢までは、半歩どころかひと呼吸しかない。≪中断≫の禁止が大量生産方式の特性である以上、そこでは常に動き続けるベルトコンベアが主役であり、つまり流れをつくる部品の≪道≫がここでも第一義性を持っている。
(西井一夫『20世紀写真論・終章 無頼派宣言』) (via breathnoir)

  11 notes  

実は人生においては、そういうことが頻繁に起こっているんだろうと気づいたのです。

有限の距離にあるゴールに向かうための正しいプラン、やり方ばかりを気にしていると、無限の遠方を目指す間違いを繰り返しながらの一歩一歩の積み重ねという歩みができなくなってしまう。そうすると、間違いの創発が起こるチャンスはすくなくなって、とにかくチャレンジしてみて間違えて覚えるということを繰り返している人との差はどんどん広がっていくのだろうなと思ったんです。

これって、スキルだの頭のよさだのの差じゃなくて、ふだんの生活でどれだけ好奇心をもってそれをすぐさま自分の行動に移せるかどうかの差なんだろうなと気づいたんです。
とにかく行動のはやさ。脊髄反射的なレスポンス。これって重要! まさに「頭の中にあることを瞬間的に出せる訓練をしないとコンセプトもへったくれもない」ですね。
あー、人生プロトタイピングだなーって思いました。

早く多く間違えよう - DESIGN IT! w/LOVE
参加者の実感としてもよく分かる。種を明かせば「出来がよいチーム」には経験者がいたとかはあるんだけど、なによりもチームになるのが早かったし、「僕がやります」と手を挙げる人が多かった。それって好奇心があって、体験から学ぼうという意欲があった人が多かったってこと。 (via yusuke-arclamp)

  5 notes  

日本語の「象は鼻が長い」といった文が表現しているのは主体と客体の関係ではなく、象という全体集合の中に鼻という部分集合があるという包含関係だから、命題論理に近い。

日本語は論理的である - 池田信夫 blog

うーん、月本洋氏はこんな主張をしているのか…。この通りに本に書いてあるとすれば、かなり恥ずかしいな。

上記が正しいとすれば、次のように推論したんじゃないかな。包含関係といえば「ならば」という論理接続概念、「ならば」といえば命題論理。うーん、これはあまりにイタすぎるな。オリジナリティあふれる妄想を言うのは勝手だが、キチンと先達の業績を押さえてからにしてもらいたいものだ。時枝も三上もそんなオバカなレベルからは遙か上方にいるのに。

それにしても、池田信夫氏のブログのコメント欄は相変わらず知的なレベルが低すぎだな。まるで中高年男性向けの発言小町だよ。なんであんなに典型的な現体制の批判派床屋談義風味のstatus quo的バカコメントばかり集まるんだろう。池田信夫氏のエントリには良いものもあるのに。

(via kashino)

July 30, 2009  

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